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ぱらぷる帖


妄想暴走族。
by parapluplu

Berlin日記4:歴史とはまだ呼べない、呼ばない。

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↑ユダヤ人犠牲者追悼碑に流れる涙のような雨粒。

ヒトラーによる独裁政治が行われた国。
第二次世界大戦後には、壁によって東西に分割された街。
これらのことが今なお色濃くベルリンには残っていました。
そしてそれに圧倒もされてきました。

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↑ユダヤ人犠牲者追悼碑の間を縫って歩きました。碑の高さもまちまちで、地面も波打っていて、いかんともいいがたい気持ちになりました。

ナチスによる恐怖政治が、そしてそのアーリア民族の純潔を保つための「ユダヤ人粛清」政策がこの街で行われていてたということを、街を歩きながら考えました。Blancheがコメントにくれていたけど、目抜き通りはどれも軍用車輌でパレードが出来るような広い間隔を取ってあるし、ブランデンブルグ門前では、ヒトラーが演説もしたわけです。人間が人間を無残に殺していくという戦争の、さらにその縮図がここにあったのだと思うといたたまれないような、怒りにも似たような、悲しさが押し寄せました。この街の、あらゆる通りのどこかで「夜と霧」政策が粛々と行われてたんですよね・・・・。そしてそうやって逮捕され、強制収容所に送りこまれていった何の罪も無い人たち。あのアウシュビッツ収容所につづく、戻ることは永遠に許されない線路の終着点を胸に思い描きながら、歴史が時として言葉を失うほど卑劣になりうることを改めて実感。

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↑現存する壁の隙間からDeath stripと呼ばれていた2枚の壁の間の無人地帯(これも現状保存されていたようでした)を覗きました。うすら寒いようなあの気持ち、忘れたくない。

歴史と呼ぶにはあまりにも近すぎる、数々の痕跡が今も当たり前のようにそこかしこに残っていて、こういう街は(少なくとも欧州の他国には)ちょっと他にはないなぁ、と思いました。そして、分断されていた東西の格差を埋めていくエネルギーによって成長をしてきた街なので、他の大都市とは全く一線を画するスタイルがあるようにも見受けられました。それはたぶん、例えば京都を歩いていて突然寺田屋跡を見つけて驚く感覚にも似ているのかなぁ、と。メディアや教科書で知ってきた事実に唐突に街で出会う不思議さ。そしてその事実がそう遠くない過去にあったという衝撃を改めて知るような感じ。残っている壁や、壁の跡を地面に残した箇所を見てそんなことを思いました。そして、ひとつの街が壁という物質によって、行き来できないふたつの場所に分断されてしまうという不条理を今更ながら痛感しました。
by parapluplu | 2010-10-20 06:21 | 遊ブ
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