ぱらぷる帖


妄想暴走族。
by parapluplu

不機嫌という名の愛嬌

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『御馳走帖』というタイトルからして、期待するのは御馳走の話。
そもそも食の随筆というのは名作が多い。本作も、最初から最後まで食べ物の話なのに、しかし何を書いてみても「百閒自身」に帰結しているところが異色中の異色。

融通がきかず、妥協もせず、借金してでも美味しいものを食べる百閒先生。
朝は英字ビスケットと牛乳、昼は盛り(又はかけ)そば(※本人はこの朝昼を「食事」としてカウントすらしていない)、そして万全の体制で夕餉にそなえるわけなので、夕餉の時刻に来客があるのを嫌う百閒先生。持病のために、節度ある飲食を言い渡されているのに、守れずに(罪悪感から)主治医を招待して、彼を前に暴飲暴食してしまう百閒先生・・・・

これほどまでに、「ああーコレ食べたいなぁ!」とならない食のエッセイもめずらしい(笑)。いや勿論、出てくる食べ物はみんな美味しそうなんだけども。このエッセイに『御馳走帖』というタイトルをつけること自体が間違っているのでは?飼い猫がいなくなって以来、延々と探し続けては泣き暮らす『ノラや』も、考えてみれば猫の話ではなく、(猫がいなくなったという現実に対して)融通のきかない、妥協もできない百閒自身のお話だし、モチーフが何であれ常に読者が手渡されるのは「百閒かくありき」、みたいな(笑)。

個人的には『百鬼園随筆』のような、そのものズバリ、百閒自身のあれこれを書いているエッセイよりも、他のこと(食べ物や猫)を描いているのに気が付いたら百閒のありのままの姿が浮かび上がっていた、というこういう形式の方がより百閒という人となりに触れやすい気がする。

それにしたって、借金はするわ悪態はつくわ、不機嫌で頑固なのにこの茶目ッ気。この愛嬌。味わってください、ぜひ。
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by parapluplu | 2010-08-24 02:53 | 読ム
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